ユーザ用ツール

サイト用ツール


きりたんぽ


文書の過去の版を表示しています。


きりたんぽ

秋田県名物、米をつぶして作る、定番のご当地グルメのきりたんぽです。

細長い形状と、ザクザクした米の食感が楽しく、おいしく、そのまま焼いて食べたり、
鍋に入れて食べたりと地元グルメで活躍します。

きりたんぽ(切蒲英、切短穂)とは、すりつぶしたうるち米のご飯を杉の棒に先端から包むように巻き付けて焼いたたんぽ餅を、棒から外し、食べやすく切った食品。また、それを利用した秋田県の郷土料理。鶏(比内地鶏)がらのだし汁に入れて煮込んだり(きりたんぽ鍋)、味噌を付けて焼いたりして食べる。地域によって食べ方は異なる。

元来は冷や飯の利用法として工夫されたものだといわれている。

秋田県大館・鹿角地域の郷土料理で、その地のマタギの料理が起源だったとの説がある。他にもいくつかの説があり、

1.残った飯を捏ねて棒の先に付け焼いて食べたら旨かった。たまたま、南部藩主が巡視に来たときに食べ、食べ物の名前を訊かれたときに、キリタンポと答えたのが始まり。

2.マタギが山から帰った際、残した飯を潰して棒につけて焼き、獲物のヤマドリや山菜、キノコとともに煮たり味噌をつけて食べたりしていた。

3.阿仁マタギは狩りに行くとき、大きいおにぎりを朝食1個と昼食1個と吹雪で帰れない等の予備に1個持っていき、その予備のおにぎりはほとんどの場合、家に持ち帰りました。その際、冷たいのでおにぎりを棒に刺して焼いて食べたが、早く焼くために伸ばしたのが始まりだという伝承がある。マタギは広範囲で狩猟活動をしていたので広範囲に広がったという。その当時、熊の胆や皮などで商売をしていたマタギは裕福で白米を食べることができたが、農家ですら粟や根菜を混ぜたご飯(粥)を食していた。民家に泊まりながら商いの旅に出て、民家の子供に焼いたおにぎり(きりたんぽ)をあげるとすごく喜ばれ、秋の収穫の時期に特別な贅沢料理として民家でこれをまねして作られたので広まったという。きりたんぽ鍋は、マタギではなく(熊鍋やウサギ鍋は獣臭を消すため、濃い味噌が主流でこれにきりたんぽは入れない。また、醤油自体がまだなかった)。その後、日本一の鉱山として阿仁鉱山の最盛期の時、全国から商人が来てその中にその当時珍しい醤油が入って来たのがきりたんぽ鍋の始まりと思われ鉱夫づてでさらに広まったと推測される(きりたんぽ鍋に糸こんにゃくが入っている理由は、鉱夫の肺病に効くといわれていたからであるという。他にも「なんこ鍋」など阿仁発祥で各地に広まった鍋があるという)。

きりたんぽ鍋は家庭料理であることから、鍋に入れる鶏肉に本来は決まりはない。比内地鶏が使われるようになった契機は、比内地鶏の産地である大館市の企業が、煮込んでも硬くなりすぎず鍋物に最適なことに注目してセットで売り出し、成功したことである。その後、県北部の鹿角市が発祥、大館市が本場と定着し、秋田県の郷土料理として広く親しまれるようになった。

これに対して南部、つまり由利本荘市、大仙市、横手市、湯沢市周辺では、あまりなじみがある料理ではなかった。きりたんぽが全国的に有名になってから秋田県の名物として県南にも普及した。県南部はむしろ、山形県や宮城県などで広く行われている芋煮会の分布範囲である。

主な種類

たんぽ(たんぽ餅)

「短穂(たんぽ)」とは、元来、稽古用の槍につける綿を丸めて布で包んだものであり、杉や竹の棒に半殺し(半分潰すという意味)のご飯を巻き付けたところがたんぽをつけた槍(たんぽ槍)に似ていることから、その名が付いた。


きりたんぽ.1660827844.txt.gz · 最終更新: 2022/08/18 22:04 (外部編集)